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自己紹介


こんな二人が刺繍してます。  工藤弘美 眞津子

日本刺繍との出合い

小・中・高と札幌の学校でした。
進学や就職を決めるときに すごく悩みましたよ。自分が何をしたいのか、わからなかったんでうすよね。結局、通信関係のソフトウェアの会社に就職。今、考えれば大手の会社でその当時は社会のことよく知りませんでしから、先生のお陰だったんだな〜と感謝してます。結局退社しちゃて、申し訳なかったです。
 
最初、会社の寮から職場までの通勤にはおどろきました。小田急線で読売ランドからで新宿へ、そこから山手線で田町まででしたが、ホームの階段を昇り降りする姿は羊そのもの。とは言うものの 満員電車やその群れにもすぐになじんでしまえるからすばらしい(適応力抜群)

ソフトウェアの仕事に集中できずに有給休暇をとって新宿でぶらぶらしていたら すごく勢いのある女性に、コーラスやりましょうっ!て代々木の体育館に誘われるままに行ってしまった。そこでハイドンの「天地創造」の練習に参加することになる。そのアマチュアのコーラスで指揮者の先生や仲間の学生さん達と濃い時間が過ごせたのはすごくいい経験でした。必死でなにかやる事、初めて教えてもらった気がします。その結果、会社を退社して新宿の汚い生活が始まり大家さんに借金を返すために浜松の工場へ期間従業員として三交代勤務で働くことにもなるんですけど。

まじめに働いたお陰で借金もすぐかえし、多少の蓄えができたので これからどういう風に生きて行けばいいのか随分とじっくり考えることができました。
民工芸の竹篭とか織物に漠然と引かれるものがあって それに関連したデザイン雑誌を買い求めると、その中に正座して日本刺繍している人の姿。その姿がどうも頭の隅から中央にやってきて手紙をかき入門させていただいたのが紅会という日本刺繍の工房でした。

紅会では全寮制で最初の3ヶ月ぐらいは猫をかぶってましたけど、だんだん化けの皮がはがれてきて大変でした。
5年の研修期間を、師匠はじめ先輩、後輩、親父、みんなに支えられ、なんとか終えることができました。感謝!その後眞津子と結婚して長男が生まれるまでの12年間お世話になりました。

その後、秋田県で日本刺繍を生かして働ける会社があるということで8年ほど勤務し実家のある札幌に戻りました。

こんな時代ですから日本刺繍の仕事では生活していけないのでは?と随分、妻と二人で考えました。
少し無茶かなと思いながら、長年経験のある仕事であり、夫婦二人で協力できる。
必要以上に金銭的な豊かさを求めず、子供達にも働く親の後姿が見せられる職業。
ということで、日本刺繍を生業とするこになりました。 妻に感謝!

簡単な略暦でした。 みなさん、よろしくお願いします。


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